先日、三男(4歳)を保育園に迎えに行きました。長男(8歳)と次男(6歳)は留守番させ、迎えに行っている間に公文の宿題をやるように伝えました。
三男を連れて帰ってくると、長男が「次男はずるしたんだよ」と。「何をしたの?」と聞いてみると、「アレクサ(Amazon Echo)に、3+6は?」と答えを聞いていたとのこと。
正直、ずるいと言うより、すぐにその使い方を思いつくというのがすごいなと思いました。
また、4歳の三男でも「アレクサ、ミニオンの曲かけて」と普通に使っていますし、長男は「アレクサ、1曲前の曲をかけて」と大人では少し思いつかないような使い方をしています。実際、再生中の曲の前にかかった曲が再生されました。
子供たちにとっては、何か言えば答えてくれる物ということがわかっており、自然な言語で話しかけています。ただ、3人に「アレクサは家族だと思う?」と聞くと、「家族ではない」と答えています。
やはり、単純なスピーカーに話しかけているだけですので、家族だとは思えないのでしょう。また、それほど認識率も良くないと言うのもあるのかもしれません(「すみません、今はわかりません」「もっと勉強します」と言う回答も多い)。
ただ、人型のロボットができて、自然に話しかけて答えが返ってきたり、アクションがあった場合、さらに「アレクサ、3+6は?」と子供が言えば、人間のように「それは自分で考えてみよう」と臨機応変に答えることができるようになったりすると、「家族だと思う」となるのかもしれません。
5年も前に書いた「「機械との競争」 テクノロジー失業はどうやって攻略する?」を再度読み直してみましたが、このとき以上にAIが進化しています。子供たちが大きくなったときには、ほとんどAIが仕事をしているのではないでしょうか。そうなったときに、どんな教育が必要なのか、どんなことを伝えていけば良いのか、こんなことを考えながら子育てをしています。子供たちにとって便利な「アレクサ」ですが、将来は子供たちの「ライバル」になる可能性もありますので、非常に複雑な気持ちです。